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東京地方裁判所 昭和45年(ワ)11007号 判決

原告 方喰昇

右訴訟代理人弁護士 内藤義憲

被告 斎藤清太郎

右訴訟代理人弁護士 小沢茂

同 宮沢洋夫

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求める裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告に対し、東京都台東区東上野六丁目九五番地一所在、家屋番号九五番一の一、木造亜鉛メッキ鋼板瓦交葺二階建、一階六九・六四平方メートル、二階七九・五三平方メートル(以下本件建物という)を収去し、東京都台東区東上野六丁目九五番一、宅地二五〇・二一平方メートルの北東部分九九・一七平方メートル(以下本件土地という)の明渡をせよ。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

との判決ならびに仮執行の宣言を求める。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文と同旨の判決を求める。

第二当事者の主張

一  請求の原因

1  原告は被告に対し、昭和二二年秋頃、本件土地を建物所有を目的として賃貸し、右土地を引き渡した。その後昭和二四年七月二一日、右賃貸借につき期間を二〇年とする旨約定した。

なお、被告の、はじめ本件土地を吉田安田郎から賃借していたとの主張は否認する。原告は、はじめ賃借土地の一部を被告に転貸していたが、昭和二二年右賃借土地を地主から買受け、昭和二四年四月所有権移転登記を経たものである。

2  被告は本件土地上に本件建物を所有している。

3  原告は被告に対し、昭和四四年一月から再三口頭で、また賃貸期間満了後の同年八月八日には書面で、期間満了後は更新を拒絶する旨意思表示した。

なお、被告から更新料を支払うとの意思表示を受けたことはあるが、原告の方から更新の意思で更新料を請求したことはない。

4  更新拒絶には次のような正当事由がある。

(一) 原告はその所有する台東区東上野六丁目九五番一、宅地二五〇・二一平方メートル(以下原告地という)の土地上に倉庫および事務所の建物を設置していて、毛皮販売の会社を経営している。

ところで、右のような業種の会社経営においては、毛皮の仕入・加工・販売と一貫作業をすることにより、企業の収益率がきわめて高くなるものであるが、輸入品の増加などにより競争が激しくなった現在の状況の下では、単に仕入・販売の業務だけに依存し、低収益に甘んじていては、企業の存立自体も脅やかされるようになってきている。

原告は従来、埼玉県寄居に縫製工場を賃借し、そこで毛皮の縫製加工の仕事を行っていたのであるが、右工場の所有者が近頃独立して原告と同種の営業を開始することとなり、原告は当初からの約束で右工場を明渡さねばならなくなった。そのため、原告は自己専用の縫製工場を設ける必要に迫られているが、本件土地を除く原告地にはもはやその敷地の余裕がなく、また他の場所に工場を設置することは多額の投資を要するばかりか、交通事情などからも不便、不経済で、原告にとり過重の負担となる。したがって、原告としては、本件土地に工場を設けることがどうしても必要である。

(二) 被告は本件建物において兎肉の販売を営んでいるが、すでに高令で自ら営業するのは難かしく、また、本件土地の近所に建物を所有しているから、そこで営業することも可能であるし、他にアパートなど右営業をしなくても生活できるほどの資産もあって経済的に安定しており、本件土地を明渡すことによる影響はそれほど大きくない。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1中、賃貸借が成立した時点が昭和二二年であるとの点、昭和二四年に期間を二〇年と約定したとの点は否認し、その余は認める。原告地はもと訴外吉田安太郎の所有であったが、昭和二〇年秋頃、被告は本件土地を、原告は本件土地を除いた原告地をそれぞれ吉田から賃借していた。その後原告は被告に隠して昭和二四年四月六日吉田から原告地全体を買ったもので、その時点で本件土地の賃貸人の地位を吉田から承継したのである。

2  同2は認める。

3  同3については、昭和四四年一月から再三口頭で更新拒絶をしたとの点は否認する。

むしろ、原告は昭和四四年六月頃、期間満了後も引き続き賃貸する意思で更新料の支払いを請求し、更新の点については被告と合意したが、更新料の額についてのみ被告と合意ができなかったのである。

4  同4(一)については、原告が埼玉県寄居に工場を賃借していたとの点、したがってその後その工場を明渡した点は否認し、原告が原告地上に倉庫および事務所を有すること、原告が毛皮販売の会社を経営している点は認め、その余の事実は不知。

5  同4(二)については、本件土地の近所に一軒建物を有すること、およびその階上をアパートにしていることは認めるが、その余の事実は否認する。

被告は現在、本件建物で鳥肉・蒲焼・焼鳥・卵・ハム・ソーセージ等を小売しており、その営業には被告の家族や被告の妻の妹夫婦が従事していて、それにより両方の家族計一〇人が生活しているのであって、他に資産があるといっても前記の近所の建物一軒を所有しているだけであって、営業を継続しなければ家族は生活していけない。また右の建物は本件土地から二〇〇メートルは離れた所にあり、しかも裏通りなので営業のできる場所ではなく、被告の営業を右建物に移転することはできない。

第三証拠≪省略≫

理由

(一)  原告が被告に対し、本件土地を賃貸した事実については争いがない。

(二)  しかし昭和二四年に賃貸借期間を二〇年と約定したかどうかについては争いがあるので、この点について判断する。

この点の判断は結局、期間二十ヶ年と明記し、昭和二四年七月二一日と作成年月日を記入してある甲第一号証の成立が肯定されるか否かにかかるのであるが、「借主」として記された被告の署名が自筆でなく原告の筆蹟であることは原告本人自ら供述するところであるから、問題は名下の印影が被告の意思に基づいて押捺されたものか否かに帰する。そしてこの点につき、原告本人の供述は、被告に昭和二二年から賃貸していたが、その後吉田安太郎から本件土地を買い、昭和二四年四月には登記も済ませたので、あらためて契約関係を明確にするべく甲第一号証の契約書を作り、被告に捺印してもらったとするのに対し、被告の妻の証人斎藤まつの証言によれば、被告が本件土地を借りたのは吉田安太郎から直接であり、本件土地を原告が買ったのを知ったのは昭和三三年で、それまでずっと吉田が賃貸人だと思っていたから、昭和二四年頃甲第一号証のような文書に捺印しているはずはないというのであって、全く相反した供述がなされている。

そこで、更に本件賃貸借成立の経緯を原告本人尋問の結果および証人斎藤まつの証言によって見ると、戦時中疎開先で知り合っていた被告と原告の父の市之助とは、終戦後前後して疎開先から東京へ戻って商売するにあたり、いずれも吉田所有の土地を借りたのであるが、吉田との賃借の交渉、賃料等の支払いはすべて先に戻っていた市之助が被告の関係についても代理していて、被告自身は全くタッチしなかったことが認められ、このことから推して、被告の、吉田と直接賃借関係を結んだとの主張は採用できないが、反面、原告が被告に本件土地を転貸していたと割り切れるほど両者の関係は明確でなく、かなり曖昧なものが残るのであって、被告としては、本件土地を吉田から直接借りているつもりでいたことも考えられる。

証人斎藤の証言によれば、被告は地主吉田に支払うべき毎月の賃料を原告に托しながら領収証ももらっていなかったことが認められるのであって、当時は全く原告を信頼し切っており、他方被告夫婦の法的知識は不十分であったことは弁論の全趣旨からも明らかなので、仮に証人斎藤の供述が記憶どおりであるとしても、原告のもってきた甲第一号証の書面に、あまり深く意味も考えずに判を押して忘れてしまうといったことも考えられないではないし、またこれに関する原告本人の供述内容も特に不自然なところはない。

右のような認定のもとに、甲第一号証の記載に戻ると、これにつき偽造との疑念を惹起せしめる積極的な証拠もない以上、結局甲第一号証は、被告名義の印影部分を含めて真正に作成されたものと認めざるを得ない。したがって右文書によれば、賃貸借期間を二〇年と約定したことが認められる。

(三)  次に被告の、更新料の額の点を除けば、更新についてすでに合意がなされているとの主張につき判断する。原告本人尋問の結果および証人斎藤まつの証言を総合すると、原告の方でも更新料さえ折り合えば更新してもよいとの意思のもとに更新料の額について交渉したことは認められるが、だからといって、更新料にかかわらず更新することだけは合意したとは到底認めることはできない。そして、≪証拠省略≫によれば、原告が被告に対し期間満了後遅滞なく異議を述べたことは明らかである。

(四)  そこで、進んで、更新拒絶の正当事由の点につき判断する。

原告側の事情としては、原告本人尋問の結果によると、原告は毛皮の販売を業としているが、この種の商売では毛皮を加工して衣類などの完成品として売るのが一般的には利益率が最も高く、そのためには工場を持つ必要があること、工場の設置場所としては事務所や倉庫に隣接した本件土地が最適であることが認められる。また、埼玉県寄居の方に数年前までは毛皮の縫製のための仕事を行う場所をもっていたことも認められる。(しかしそれが工場といえるほどのものかは、証人斎藤まつの証言を照し合わせると疑問なしとしない。)

しかしながら、原告の主張するように、完成品までの一貫作業をしなくては企業自体の存立も脅やかされるとまでは認めることはできない。というのは、原告本人尋問の結果によれば、原告は昭和四一年から四四年まで、埼玉県で完成品も作っていたのであるが、その前後の経営状態は、昭和四一年までは黒字昭和四二年以後は赤字というのであって、もとより経営の収支にはいくつかの要因が複合的に作用するとは言え、完成品までの一貫作業と経営の好転とが必ずしも相伴うものでないことは右の結果からも窺い知ることができると言えよう。

また、近郊に工場を設置することは原告にとり過重の負担となるとの主張は、現に昭和四一年から四四年まで埼玉県寄居で工場を借りて来たこと、それをやめたのも原告の方の都合でなく工場の持主から断わられたからであったことが原告本人の供述から認められるのと一致せず、せいぜい本件土地に工場を建てる方がより有利という程度でしか認めることはできない。

更に、原告本人尋問の結果および和解勧試の経過から見て、原告は更新料さえ高ければ更新に応ずる意思もあったと認められ、この点からも、本件土地から被告を退去させ工場を設置する必要があるという原告主張が果してどの程度の真剣さに支えられているのか疑問をいだかざるを得ない。

これに対し、被告側の事情としては、証人斎藤まつの証言によれば、被告が鳥肉・卵・ハム等の小売を本件建物で営んでいて、それによって一〇人の家族が生活していること、被告は、他の資産としては近所に一軒家屋(二階はアパートで、一階は倉庫)を所有しているのみであることが認められる。

証人斎藤の証言によれば、以前その建物で下駄屋が商売していたこともあったと認められるので、被告らがそこに移転して営業を続けることも不可能とは言えないであろうが、場所的には本件土地から二〇〇メートルほどあり、繁華街を離れてまわりは住宅街となるため、もし移転すれば営業上相当な影響をうけることになることも、右証言から窺われるところである。また、右営業を続けなくとも十分生活していける程、他の資産から収入があると認めるに足りる証拠はない。

右に認定して来た原・被告双方の事情を比較考量すると、結局、原告の更新拒絶には正当事由がないと言わざるを得ない。

(五)  したがって、原告の請求は理由がないから、これを棄却し、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第八九条を適用し、主文の通り判決する。

(裁判官 倉田卓次)

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